クリスマス――最もよく知られたキリスト教の祭典

今年も、あと十日を残すのみ。「クリスマスシーズン」たけなわです。スーパーはじめ、いたる所でクリスマスソングが流れているのは、もはや年中行事ですね。

ところで、そもそも「クリスマス」とは何の日でしょうか?

「サンタクロースの誕生日!」あ~、申し訳ないですが、その答えだと小学校低学年レベルですね。

「知ってますよ。イエス・キリストの誕生日でしょう」

う~ん、まあ一般的にはそんな回答でしょうねえ。それなら小学校高学年レベルにはなっているかも(←なんでそんなに上から目線なのか)。

実は、クリスマスの成り立ちというものを見ていくと、なかなか複雑ないきさつをたどっているのです。そのあたりを『よくわかるクリスマス』(嶺重淑・波部雄一編/教文館)という本を参考にしながら眺めていきたいと思います。

イエス・キリストの誕生日ではない

そもそも、イエス・キリストが何月何日に生まれたかということについて聖書には全く書いていません。また聖書以外にも何の歴史的な資料もなく、12月25日にイエスが生まれたという証拠は何一つないのです。

そもそも、キリスト教が生まれたばかりのころのキリスト教信者たちは、イエス・キリストの誕生日がいつなのかということには、全くといっていいほど関心がなかったのです。そればかりかキリスト教を生み出した古代のイスラエルには誕生日を祝うという習慣そのものが一般的ではなかったといいます。

ではなぜ12月25日が「イエス・キリストの誕生日」――正確には「イエス・キリストの誕生を祝う日」になったのか?

もともと別の宗教の祭りだった!?

もともと、この日は古代ローマの「太陽神」を崇拝する宗教の祝日で、非常に大きなお祭りの日でした。現代の「クリスマスシーズン」と同じように、当時のローマの12月も祝祭期間として賑わったようです。

古代ローマにおいてキリスト教徒が迫害されたのはよく知られています。このことを扱ったノーベル賞作家・シェンキェヴィチの『クォ・ヴァディス』は映画化もされた有名な作品です。

女子パウロ会というカトリックの修道会が経営する出版社からコミック版も出ています。


もちろん、原作の小説を読むに如くはないので、興味のある方はぜひ手に取ってみてください(私はまだ読んでいません 汗)。岩波文庫版があります。

少々話がそれましたが、やがて313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世によってキリスト教は公認され、迫害の時代を終えます。そして4世紀末にはキリスト教はローマの国教とされ、逆に他の宗教は禁止されます。

それは後の話として、キリスト教を認めたコンスタンティヌス1世自身はキリスト教徒にはならず、むしろ前述の「太陽神」宗教の祭りを大々的に行うことに熱心だったようです。

コンスタンティヌス1世(『よくわかるクリスマス』(嶺重淑・波部雄一編/教文館)35ページ写真)

そこでキリスト教徒の中にも、教会の礼拝をサボってこの「太陽神」祭りに参加する人が多くいたといいます。よほど魅力的な祭りだったのでしょう。

頭を痛めた教会は「教会でも12月25日は盛大にお祝いをしますよ」と、この日をイエス・キリストの誕生日として祝うことにして、キリスト教信者が太陽神の祭りの方に取られてしまうのを食い止めようとした――というのが、現在にも続くクリスマスの始まりだったということです。

345年までに定められたローマのキリスト教会の暦は、この日をイエスがユダヤのベツレヘムに生まれた日と記している。これがイエスの誕生日を12月25日とするさいこの資料である。つまり、この頃までに、12月25日をイエスの誕生日として、教会の祝日とする習慣が生まれていたことになる。

『よくわかるクリスマス』(嶺重淑・波部雄一編/教文館)33ページ

現在では教会もクリスマスを「キリストの誕生日」ではなく、最初の方で言ったように「キリストの生誕を祝う日」とするのが一般的なように見えます。

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